いろんなタイプの自叙伝がありますが、一般的に読まれることが多いのは「創業者系」の自叙伝・自伝だと思います。ある意味、創業者も一般人ではありますが、誰もが知っている大手企業になれば「著名人」となります。
今回はそうではなく、本当の「一般人」の自叙伝について考えていきたいと思います。実際には、本当の一般人の定義は難しいのですが、ひとまず「現時点でメディア露出が少ない」そして「誰もが知っているわけではない」ことを一般人の前提ということにしておきます。
<目次>
・一般人の自叙伝の種類
・自叙伝・自伝の面白さ
・一般人の自叙伝から学べること
・人生を残す意義について
・一般人の書くべき自叙伝とは?
一般人の自叙伝の種類
誕生からはじまって、学生時代から社会人、そして結婚など一通りの人生の流れに沿って書き進めていくパターンです。これまでに執筆経験のない一般人でも書きやすい自叙伝ですが、どうしても小説のような起伏(起承転結)がないので途中で飽きられてしまうことが多くなります。けっして悪くはありませんが、読ませる力や文章力のある人に向いています。あまり文章に自信がない方にはオススメできません。
ただし、読み手側のメリットもあります。現在に至るまでの著者の経験を一から知っていくことで、ちゃんと読み進めれば感情移入しやすくなります。さらには、自叙伝に書かれているのは一般人である著者であっても、そこ(現在の考え方)に至る経緯が分かりやすい構成になるので、なぜ「そう思ったのか」なぜ「そういう行動をするのか」など、著者の思考や行動ことを理解しやすくなります。
どちらかと言えば、家族や親族向けの自叙伝としての性質が高く、商業出版のような一般読者が(購入して)読む本として出版するのは難しいという印象です。その分、本(読書)に慣れていない親族や身内でも楽しみやすい(読みやすい)と思います。
・功績型
著者の実績や功績を中心にまとめて自叙伝・自伝になります。一般人だからと言って舐めてもらっては困ります。本当に素晴らしい功績を残している人も多いです。例えば、ノーベル賞をもらうような功績はテレビやニュースになるので知られるわけですが、そのような賞の条件には当てはまらないけど、世の中に貢献している研究や開発なども多く、それらに携わっている一般人も星の数ほどいます。
私を含めて、皆さんが「ただ知らないだけ」なのです。その功績や実績が世間一般的に通用するものではなくても、一部の社会や小さな地域で必要なものかもしれません。その大小は問わず、その著者が残した功績を中心にしたストーリーは、他の地域や他のジャンルに活かせる知識や経験の塊だと思います。いろいろなアイデアのヒントになることも多いので、一般人の自叙伝のなかでも私が好きなタイプです。
このタイプは商業出版としての需要もあります。とは言え、商業出版の道のりは簡単ではありません。どんなに素晴らしい功績だとしても、文章力や表現力がなければ企画書は通りません。まずは自費出版で出版するというのが通常の流れになります。
・克服型
最近はテレビの影響で健康ブームが加速して、普通の一般人であっても珍しい病気などで取り上げられることが多くなっています。むしろ、珍しい病気だからこそ、タレントや著名人という生活とは別世界にいると言えます。もちろん、何万人に一人とかいう病気でなくても、うつ病のような一般的な病気でも自叙伝で書かれることも多いです。
一般人で克服型の自叙伝を書きたいと考える人たちは、その苦しかった頃の自分と同じような人たちを救いたい(心のケアのサポートをしたい)と考えている人が多いです。実際に、著者自身が他の人の本を読んで立ち直ることができたという人もいるでしょう。同じように自分が書いた本で、自分と同じ病気で悩んでいる誰かに想いを届けたいと思うのは自然の流れような気がします。
このような克服した経験を主題にした本は、正直に言いますと、商業的には売れにくい本になります。どうしても、読者の『絶対数』が少ないので、あまり商業出版という形で扱われることはありません。ただし、文章力や表現力が高い人、もしくは『拡散力のある人』であれば大手からの出版も不可能ではないでしょう。最近は一般人でも拡散力のある(可能性を含めて)人も増えています。
自叙伝・自伝の面白さ
基本的な内容では、個人的には上記の「功績型」が好きです。なぜ、このような功績があるのに一般人なのか(著名人になれていないのか)という逆に不思議に感じてしまうこともあります。私のなかでは『原石探し』のような面白みを感じてる気がします。これは著名人の本ではありえない、一般人の本だからこを味わえる醍醐味だと思います。
そして、一般人の著者だからと言って、全ての作品が文章や構成が下手というわけではありません。もともと文章を書くのが得意な人もいますが、そうでなくても出版する編集担当者のアドバイスなどが的確な場合にはクオリティの高い作品に仕上がることもあります。
むしろ、文章が得意だと思い込んでいる一般人の著者の作品は面白くないことが多いです。なぜかと言えば、やはり我が強い文章が多いので読みにくいのです。そして、きっと編集担当者の意見を聞いていないだろうなぁという初歩的な駄文も多く見られます。
本をいっぱい読んでいる人が良い本を書けるとは限りません。もっと別の部分(センス)があると思います。そのセンスが何かといえば簡単です。それは『読者視点になれるかどうか』だと思います。読者の視点になって考えれば、今の内容では不足しているとか、もっと深く知りたいのではないかとか、いろいろと作品のクオリティを高める努力を行います。
そのような努力を感じられる自叙伝は面白いです。これは私のような出版に携わっている人間だからこそ感じる部分かもしれません。一般人だからこそ努力を怠らない、その姿勢に感動してしまいます。自叙伝・自伝でない普通の本でも、どこに面白さを感じるかは人それぞれなので、お試し的に何冊か一般人の自叙伝を読んでみてください。
一般人の自叙伝から学べること
これは面白さにも通じるところがありますが、やはり一番に感じることは『人生の疑似体験』による多様な知識や考え方が学べると思います。さすがに、著者の体験のなかでの決断が「正解」とは限りませんから、どちらかと言えば「自分とは違う決断」の結末を学んでいる感覚に近いかもしれません。
正直、文章力に関しては一般人であることを差し引いても、ぐいぐい惹き込まれていく作品というのは多くはありません。しかし、文章力以外の疑似体験の面白さに惹き込まれて読んでいます。一般人の自叙伝でも、ちゃんとした編集担当者が付いているであろう作品は、やはりクオリティが高く、その全体の構成が上手くまとまっていることが多いです。
もし、あなたが著者として「自叙伝・自伝を書きたい」と思い、他の一般人の著者たちが「どんな本を書いているのか」を知りたいという理由だけで読み進めると、その自叙伝の魅力は半減するかもしれません。なぜなら、(無意識にしても)ライバルという存在に対しては、厳しい判断をすることが多く、その本質を読み取れないことがあります。
一般人の自叙伝の読み方としては、まずは何事も受け入れる気持ちを持ちます。そして、その著者の体験を素直に受け止めていきます。著者の思考(なぜ、そんなことをした)などを読み解いていくのも楽しいですから、流し読みではなく“ある種のミステリー小説”みたいな読み方がオススメです。
人生を残す意味について
自叙伝を書くことは記憶を記録にする作業であり、それを「いつの日か」誰かの心に届ける(響かせる)ための手段だと思います。例えば、一般的に自叙伝は家族や親族向けに書かれることが多いですが、自分の子供、孫くらいまでは面識があるので、その本の価値は正しく伝わります。しかし、それ以降の人たちは血のつながりがあると言えども、実際には「知らない人」になっていきます。
もしかしたら、あなたがこの世からいなくなって50年後に、誰かの知識や考え方に影響を与えることがあるかもしれません。そこから生まれる新しい歴史があるかもしれません。まあ実際の影響力としての可能性は低いとしても、その自叙伝(一般人である“あなた”の経験や知識)を書いていなければ起きないこともあるはずです。
最近、個人的に考えることがあります。生きていくなかで、他界した祖父や祖母の思い出が薄れて言っているということです。正直、普通に生活していくなかでは、人柄以外の詳細や過去を知るキッカケもありませんでした。そのようなキッカケとしても自叙伝は役に立つと考えます。子供や孫に自分という存在を知ってもらうことは、自分のためではなく、その子たちの人生を豊かにすると思います。
私も祖父の自叙伝があるなら読んでみたいです。他界して何年も経過して、今さらながらに思います。しかし、結果としてそれを知るチャンスは一生ないわけです。一般人が自叙伝として「人生を残す」ことは自分のためだけではないと思います。きっと、何十年後かに私のように感じている子供たちがいるはずです。
一般人の書くべき自叙伝とは?
自叙伝の目的によって、書くべき内容は変わっていきます。その目的が、家族や親族のような身内に残す自叙伝であれば、より深い感覚のような話でも良いと思います。また丁寧な言葉ではなく、いつもの口語体のような話し言葉で書いた方が面白くなるかもしれません。
しかし、商業的な流通で販売するということになれば、基本的な事実を主体にしながら、あなたの人柄や考え方をその事実と共に丁寧に伝えていく必要があるでしょう。誰かも知らない人に伝えるには、やはり読者の立場や視点で作品を作っていくことが大切です。
誰に何を伝えたいのか、このポイントさえ押さえておけば、どのような自叙伝を書くべきかは自ずと理解できるはずです。もちろん、商業出版となれば、編集担当者のアドバイスが受けられる環境でなければ、作品としてのクオリティを保つのは難しいと思います。